プロフィール


はじめまして。
「魂の目覚めカウンセラー」の水野智美です。


数あるサイトの中から、
ご訪問くださりありがとうございます。

心理カウンセリングは、
あなたとカウンセラーが二人三脚で、
より幸せになれる道を一緒に探していく
「共同作業」です。

心を扱う場所だからこそ、
カウンセラーとの相性はとても大切になります。

そこで、まずは私のことを
少しお話しさせてください。

厳しい家庭環境の中、
子どもらしく生きられず、
自分の感情を抑え、
他人を優先して、
自分を犠牲にして生きてきた私。

そんな私が、どのように自分を取り戻し、
なぜカウンセラーの道を歩むことになったのか――。

この下に、詳しいプロフィールを載せています。

私という人間を少しでも知っていただき、
大切な相性を確かめる参考にしていただけたら幸いです。

私の人生が、あなたのお役に立てるかもしれません。

少し長くなりますが、
お付き合いいただけますと嬉しいです。

家庭内暴力の恐怖におびえ「ピエロの仮面」をかぶった幼少期。

私は、地方の古くから代々続く、
昔ながらの厳格な家で育ちました。

両親は教師だったので、
「世間からどう見られるか?」
という意識が、常に働いていたようです。

私の印象に残っている家族写真は、
兄弟三人が指先をピーンと伸ばして
「直立不動の姿勢」を取っているものです。

その写真の私の顔は、
しかめ面をして、不安そうな眼をしています。

不安の原因となる、
私の恐怖の原風景は、
私が幼稚園の頃のことです。

小学校6年になる兄が、
母や祖母を床に正座させて
傘で叩いて、怒鳴っている風景でした。

私と下の兄は、恐怖で体が硬直し、
何もできないまま、
物陰からじっとその姿を
みることしかできませんでした。

大切な母や祖母が、
危ない目に合っているのに、
自分は何もできない

当時の私には、
それがどんな感情か
言葉にすることはできませんでした。

今も当時を振り返ると、
自分が体から抜けて、映画のように
その光景を見ていた気がするのです。

感情を感じていては、
苦しすぎて生きていけなかった。

敏感過ぎる感性の私は、
感情に蓋をして生き延びる方法を取りました。

ここから何年にもわたって続く兄の家庭内暴力は、
私の人生に大きな影を落とすことになります。

そして幼少期の私は、
家族から「我が家の太陽」と言われる子へと育ち、
明るく、みんなを笑わせる
「ピエロの仮面」をかぶるようになっていきました。

本当は自分が救われたかったのに「世話好きの仮面」をかぶった学生時代

学生時代は、家の外では
困っている人がいると放っておけず、
助けていました。

小学校の頃は、いじめられっ子がいたら、
いじめっ子に向かっていく気の強い子でした。

でも、そのいじめっ子たちも
おばあちゃんに育てられていたり、
怖そうなお父さんにおびえる様子を見て、
子ども心に複雑な気持ちになっていました。

中学でも、不良の子たちを放っておけなくて、
何かと世話を焼いていました。

毎日のように家に電話がかかってくるようになり、
たわいもない話をただ聞いているだけでしたが、

「親父が殴ってくるんだ」

と、ぽつりと言った言葉から、
その子の味わってきた感情が
流れ込んでくるようでした。

共感力が高く、
他人との境界線をうまく引けない私は、
他人の感情まで引き受けてしまい、

学校から帰ると、
何もできないくらい疲れ切っていました。

家の中では、いつも
戦争の最前線にいるような気持ちでした。

不登校で昼間寝ている兄は、
夜になると起きだして母を呼びつけ、
罵声を浴びせます。

怒鳴り声が響く中、
私は布団の中で、
母が無事で生きていることを
祈ることしかできませんでした。


家の中は、いつも生と死が
ギリギリのところに存在
していました。

学校では疲れ果て、
家にも安心できる場所はありませんでした。

生きるって、どうしてこんなにもつらいのだろう?
どうして生まれて来たのだろう?
何のために生きるのだろう?

その頃の私は、人生論や哲学書、
自己啓発本などを読みあさり、
救いを求めました。

特に信仰するものがあったわけではありませんが、
善い行いをしていれば、きっといいことがあるはず!」 と、心のどこかで思っていました。

また、暗く殺伐とした家庭に育ったと
気づかれないように。
他人から後ろ指を刺されないように

そうやって、「良い子の仮面」をかぶり続けました。

悲鳴を上げる体!人に弱みを見せられず「ポーカーフェイスの仮面」をかぶる。

大学進学のため念願の一人暮らしとなり、
やっと安心できる場所ができたと思っていました。

でも、常に恐怖と不安の中で育ってきた私は、
緊張している状態が当たり前になっていました。

慢性的な頭痛、肩こり、胃の痛み、
不整脈、関節の晴れと痛み。

体のサイレンは鳴りっぱなしでした。

その場しのぎの痛み止めを飲んで、
人に弱みを見せてはいけない!
と、必死で何事もない顔をして
学校生活を送っていましたが、

症状を抑えるだけの薬では
対応できないと感じるようになりました。


そんな時、
食事を整えること、
洗剤などを自然のものにすること、
自然な体の手当の仕方などを教えてくれる本に出会いました。

それを実践していくと、
体の中から力が湧いてくるような気がしました。

症状を抑える薬ではなく、
人間の自然治癒力を生かす力を育てたい
強く思いました。

それが、わたしが「自然療法士」となったきっかけでした。


しかし、薬剤師の資格を取り、
社会人としての生活が始まると、
仕事は忙しく生活も乱れ始めました。

なるべく体に良い食事をとったり、
疲れやすい体をいたわる時間をとれていた学生時代と違い、
コンビニのお弁当や外食が続くようになっていました。

体のサイレンに耳をふさぎ続け、
ポーカーフェイスで
心の傷も隠し続けてきた私は、
とうとう医師から病気の宣告をされました。

それは、自分の一部(免疫)が
自分を攻撃している
というものでした。


もっと自分に目を向けて!
もっとやさしくして!

あなたの心は、ずっと前から傷だらけなんだよ!」


私の体がそんな風に叫んでいることも無視して
当時の私は、病気になってしまった自分を責め
病弱な自分を情けなく思っていたのです。

結婚がゴールだと勘違いしていた。幸せはどこにあるの?と探し続ける結婚生活。

20代半ば、病気を抱えながらも、
縁あって現在の夫と結婚しました。

結婚して、私の心の中は、
「やっとお役目を果たした。」
という安堵感がありました。

良い学校、良い就職先、良い結婚。

親の気に入るように、
親を喜ばせるために、
期待に応えるために頑張ってきました

世間からみておかしくないように、
周りが結婚し始めたから
自分も結婚しなくては!

常に他人の価値基準で生きていました。

結婚して、これで解放されるかと思いきや、
次は、「子どもを授かる」というステージ
待っていました。

今まで自分の努力でなんとかやってきた人生でした。
でも、努力ではどうにもならないことがあるということを
知ることになります。

子どもは授かりものです。

何年も子どもを授かることはできませんでした

やっと授かったと喜びもつかの間、
流産という悲しみに打ちひしがれます。

「私の体では無理なのかもしれない」

そう思いながらも、自然食の料理教室に通い、
さまざまな健康法を実践しました。

料理教室では食事を作ることだけでなく
「何のために生きるか?」
「どう生きるのか?」
という、私が幼いころから問い続けている
「魂の探求」について教えてくれました。

見えなくてもあるんだよ
お天道様は見ているよ
と、自然の力や心の在り方について
多くのことを学びました。
このことは、私の「魂の探求」の原点になっています。

そして結婚6年目、待望の赤ちゃんを授かります。

「この子のためなら何でもできる」
そう思えるほど、心は希望に満ちていました。

本当の苦難はここからだった!難病の子どもたちを抱えて心は崩壊寸前!

赤ちゃんが生まれてくるのを毎日心待ちにして、
様々な健康法をしながら出産に備えました。

しかし、思い描いていたようにはうまくいきませんでした。

産後の体は思うように動いてくれず、
不安と痛みで、暗い牢獄にいるような気がしました

生まれて来た長男は、とても神経質で、
片時も体から離れようとしません。

私は辛くてどうしようもないのに、
助けを求めることができませんでした。

感情を抑えて生きてきたので、
出し方が分からないのです。

「きっと感情を出したら、
ダムが決壊するように大変なことに
なってしまう!」

それを感じていた私は再び感情に蓋をします。

夫は毎日深夜まで仕事で帰ってきません。
ワンオペ育児のはじまりです。


そんな中、二人目を妊娠。
双子であり、さらに重い病気があることが分かります。

二人とも無事に生きられる可能性は30%。
私は管理入院となり、長男と離れての生活。

双子は3か月早く、
小さな小さな体で生まれました

集中治療室での生活、
退院後も何度も生死をさまよう日々

さらに出産後退院してきた私に医師は、
長男が「自閉症の可能性がある」と告げます。

「どうして?私のせい?」
「双子だけじゃなく、長男までも…?」

やっぱり私は、
ずっと苦難の中で生きる運命なのだ!
人生を呪いたくなりました。

時を同じくして、
私の父が末期がんを宣告され
父の看病と母の心のケアも必要でした。

次々と押し寄せる現実に、
心は崩壊寸前でした。

それでも夫は仕事中心。

長男の障害についても
「そんなはずはない」と、受け入れられないようでした。

私は今までずっとそうしてきたように、
すべてを一人で抱え込みました

「助けて!」と言えない私は、モラハラ夫と人生に絶望する。

体力のない私にとって、3人の子育ては過酷でした。

長男を連れて施設でトレーニングを受けるため付き添い、
双子たちは小児喘息で入退院を繰り返すので、
看病や付き添いで心も体もヘトヘトでした。

それでも子どもの健康を願い、
薬に頼るだけではなく、
自然療法や整体などで、
子どもたちの体を整えていきました。

その結果、子どもたちは次第に元気になり、
自閉症と言われた長男も、
問題なくコミュニケーションが取れるようになりました。

しかし一方で、
夫に対する思いは、氷のように冷たく、
心が固まっていました。

専業主婦となり、社会から切り離されたような感覚

収入がないことで、
「養ってもらっている」
「意見を言ってはいけない」
という思い込みが強くなっていきました。

「どうせ助けてもらえない」

助けを求めることが分からない私は、
いつも他人に対して諦めていて、一人で孤独でした。

末期がんの父を見送り、
ほどなくして母が認知症になりました。

変わっていく母の姿に悩み、
娘として親の為にできる限りのことをしなければと、
必死でした。

そして、夜も眠れなくなる日が続きました。

次第に私の心も壊れていきました。

朝、床に座ったまま、
気づくと夕方になっているということもありました。

私はもう限界!

心も体も泣いて叫んでいたと思うのですが
顔は無表情
心はどんどん無感覚に
なっていきました。

そして、
夫はどんどん不機嫌になっていきました。

私は、夫が帰ってくるドアの音で全身が硬直し、
家の空気は凍りつきました。

「私はかごの中の鳥だ。このかごからは逃げられない。」
「子どもが成長するまでは何とか生きよう」
「子どもの手が離れたら、
もう私は人生を終わりにしよう

そんなふうに、人生に絶望していました。

はじめて「自分の気持ち」が言えた。カウンセリングで希望の未来を見出す。

認知症の母も見送り、
子どもが成長してきた頃、
「このままではいけない」と思い、
カウンセリングを受けました。

そこで初めて、自分がどれほど
感情や体の声を無視してきたかに気づかされます。

少しずつ「自分を大切にすること」を実践していく中で、
押し殺していた自分の気持ちに気づけるようになり、
自分の気持ちを表現できるようになっていきました。

ある日、勇気を出して、
夫に自分のやりたいことを伝えました。

「どうせ否定される」
「この人は私の全てを否定するのだから」

今までの私は夫のことをそんな風に思っていました。

でも、自分の気持ちを大切にしているうちに
自分に対しての信頼がでてきて
「心を開いて話してみよう」という気になったのです。

すると、返ってきた言葉は
「いいんじゃない?」でした。

世界がひっくり返るような感覚でした。

どうせ分かってもらえない
そう思っていたのは、自分で作り上げた世界だったのです。

それから少しずつ、
自分の思いを伝えることを続けていきました

同じ現実でも、
どんなフィルターで見るかで世界は変わる。

私が作り上げた「モラハラ夫」は、
私の見方が変わることで、
家族思いの父親になっていきました。


そして今、
夫の何気ない行動も、
「優しさ」として見えるようになりました。

あの時、カウンセリングを受けていなかったら
私は今も人生に絶望して
モラハラ夫に縛られている可哀そうな「かごの中の鳥」と、
自分のことを思っていたでしょう。

すでにこの世に存在していないかもしれません。

一人で抱え込まず、
人に助けを求めること
がどんなに大切かを
今になって身にしみて感じています。

「わたしが主役」の人生を生きることが周りを幸せにする

幼いころから、自分を抑えることが当たり前で、
自分の感情すら分からなくなっていた私。

カウンセリングを通して、
人生の主役は自分自身であるということを学びました。

そこにたどり着くまでに
まずは、自分の感情に気づくことから始まりました。

そして、それをジャッジせずに
ただ受け入れてあげる
ことをしました。

自分の感情すら分からなくなっていた私にとって、
「感じる」ということが難しく

「どんな気持ち?」

と聞かれても、なかなか答えられず、
サポートしてもらわなければ
たどり着けない道のりでした。

「自分を大切にしてね。」

と言われても、
どうしていけばいいのか分かりませんでした。

特に「自分を大切にすること」は、
最初はとても難しく、罪悪感すらありました。

「自分を優先する」なんて「わがまま」なのではないかと、
随分抵抗がありました。

それでも、
小さな感情を一つひとつ大切に感じ取るようにし、
受け入れるようにしていきました。

そうするうちに、
これまで家族を最優先に考えて、

「夕方までには家に帰って夕食を作らなければ!」
などの

「妻とは」「母とは」という、
「こうあるべき」に縛られて、
いつも自分を後回しにしていた私も、

今では自分を最優先にすることができ
自分の行きたい場所へ、
自由に出かけられるようになりました。


ある日、長男に聞かれました。
「母さん、今、幸せ?」

私は迷わず答えました。
「幸せだよ。だって、好きなことをやっているから。」

長男は「よかった」と一言。

子どもは子どもなりに、
私のことを心配していたのでしょう。

親が幸せで笑っていることが、
子どもにとって幸せなのだ
と気づかされました。

それは夫にとっても同じなのだと思います。

自分を大切にすることは、
わがままではありません。


自分が本来の自分にかえって
自分らしく生きることで
まず自分が幸せになり、


その幸せが
水の波紋のように
周りを幸せにしていくのです

私の人生は決して順風満帆ではありません。
それでも、この経験があるからこそ、
誰かの力になれると思っています。

役割の仮面を外して、カウンセラーとしての新たな道

私は、何のために生まれて来たんだろう?と思い悩み
人生は苦しみの連続だと絶望し
生きることをあきらめ、感情を封印し、

世の中から与えられた
「娘として」「妻として」「母として」「社会人として」の
役割の仮面をかぶって生きてきました。


でも、カウンセリングを受けたことで、
「これは何かが違う」と感情に気づき、
偽りの仮面を外すことができたのです。

もっと早く気づきたかった。
長い年月かかってしまった。
もっとやりたいことがやれたかもしれない。

苦しみが長かった分、後悔する思いもありました。

そんな思いから、自分の中で
むくむくと抑えきれない想いがわいてきました。

私のような苦しみを抱えている方がいたら
少しでもお役に立ちたい!


私のように後悔してほしくない!


そんな思いで、
カウンセラーとしての活動を始めました。

「娘として」「妻として」「母として」誰かのために一生懸命、生きてきたあなたへ

これからは、
「あなた自身」のための人生を創り出していきませんか?

〇「私の人生、このままでいいんだろうか?」
〇「このまま誰かのためだけに人生を終えてしまっていいんだろうか?」
〇「変わりたいのに、どうしても変われない……」
〇「特別大きな悩みがあるわけじゃないのに、毎日が曇り空みたいに心が晴れない」

もし、そんな風に生きづらさを感じているなら。
あなたがダメなわけでは、決してありません。

ずっと自分の感情に蓋をして、
周りを優先してきたからこそ、
自分の本当の気持ちが見えなくなっているだけなのです。

自分のことって、
自分ひとりではなかなか気づけないもの。

だからこそ、ひとりで抱え込まずに、
人を頼ってほしい
のです。

かつて「かごの中の鳥」だった私が、
自分の人生の主役を取り戻せたように。

今度はあなたが、
あなた本来の人生を見つけて、
心から笑える毎日を歩み始める番です。

その最初の一歩を、私に一緒に支えさせてくれませんか?

あなたとお話しできる日を、
心よりお待ちしています。